BAO君から学ぶ人生論
2016年8月。
ある一冊の本が出版されました。
▼電子書籍版
この本が出版され、世間を賑わしました。
著者である中島芭旺こと、通称BAOくん。
なんと、当時10歳の少年。
彼は数々の著名人と顔を合わせていきます。
その度に「面白いね」「凄いね」などと賞賛を得ているわけで。
もちろん批判する人もいるけど。
ただ、僕はそんな彼に大きく関心したことがありました。
BAO君は、お笑い芸人「キングコング」の西野亮廣さんと2人でイベントを企画。
その為に、西野さんとの「トーク開催権」という権利を購入。
なんと、その権利の金額が¥30万!
本の印税を使って購入したとのこと。
こちらがその記事。
BAOくん公式ブログ「30万は僕の覚悟」
この公式ブログだけでも結構な学びがあるなーと個人的には思ってます。
ホント、こんなこと出来る小学生がどれだけいるんだか。
いや、大人でも少数でしょう。
普通なら無駄な遊びに使ってしまいそうなところ。
そんな彼から学ぶことはたくさんあります。
今回は、そんなBAOくんの著書。
「見てる、知ってる、考えてる」をテーマに進めていきます。
著書「見てる、知ってる、考えてる」について
この本を読んだ第一印象は、シンプルに「読みやすいなー」だった。
まぁ子どもが書いたものなのでシンプルになるのは当然ですが、でも深い。
これを出版しようと考えたのは出版社で働く「大人達」ですから、BAOくんの言葉の数々が物(商品)として価値が無ければ実現しないことですからね。
ただ、内容を覚えているか?
と聞かれたら、はっきり言って全然覚えてない。笑
でも「頭に残す必要の無いもの」というわけではなく、ふとした時にさっと読める感じ。
だからこそ、頭に残さなくても良い本。
特に、僕のように電子書籍で本を読む人。
この「ふとした時」にさっと読めることって大きなメリットです。
「本」より「メモ」に近い感覚。
「最近上手くいかねーな」
なんてことは誰にだってあると思います。
そんな時に何度も本を開く。
「学ぶ為」というより「再認識の為」にある。
もちろん「その視点で物事を見るのね」という発見もある。
子どもの視点って、凝り固まった大人達の視点より柔軟なので、発明家みたいだと僕は思ってるんです。
だから、この「ふとした時」に得られる「ふとした発見」は仕事とかでも結構有効的にに働いてくれる。
なので人によっちゃ「つまらない本だ」と思う人もいるかな。
どんな本もそうやけど。
発想力を高めたい人にはオススメかも。
逆に理論で構築してく人には言葉の変換が面倒に感じるかも。
それとは別に、僕は活字だらけの本が凄く苦手。
なので、よっぽど興味関心を持っていないと読めない。
そんな活字が苦手な僕にもスッと入る本。
それが「見てる、知ってる、考えてる」の一番良いところかな。
本って結構時間を奪われるんで、その時間を最小限に抑えられるのって僕にとっては大きなアドバンテージ。
やっぱり読了するまで良し悪しは判断しきれないですからね。
読み切った後に「あんまり学びは無かった」ってなったら本を読んだ時間を大きくロスすることになるし。
とにかくお試し感覚で読めるので丁度良かったです。
言葉に込められたもの
この本は小学生が書いたもの。
なので完結、且つ簡単な文章が並んでいるだけ。
しかし、深みのある言葉。
社会人の感性では中々生み出せない表現が多数。
子どもの感性は素敵です。
1つ抜粋すると。
僕の最大の長所は、1人では何も出来ないこと。
それを知っていること。
助けてっていえること。引用元:「見てる、知ってる、考えてる」著・中島芭旺
こう思える人が何人いるんだろうなぁ?とか。
恐らく大半の人が抱く事の無い感覚。
大人になったって何でも出来るわけじゃない。
変なプライドが邪魔をしたり、一人で何でも出来る方が偉いと勝手に考えて、助け舟を中々出せないでいる人多いんじゃなかろうか。
「1人では何も出来ないこと」を「最大の長所」と捉える。
経験を積めば「1人で出来る事」は増えていきます。
ただ「何でも出来る」と勘違いしてしまう。
社会に出ると「自分の力でやれ」とか。
「甘えるな」とか厳しいお言葉のオンパレード。
それも成長する上では大切な事ですが、色々と乗り越えた分、何でも出来る気になってしまうのも問題です。
大人になっても出来ない事はたくさんある。
それを素直に受け止められるか。
そして、その時に「助けて」と言えるかどうか。
このたった3行の言葉。
実に深いなぁーと感じました。
そんな言葉がたくさん出てきます。
この本の売り
なんだかんだ言っても所詮は子ども。
そう思う人もいるかもしれません。
この事について低好感度No.1でお馴染み。笑
冒頭でも触れた「キングコング」西野さんが、面白い指摘をしてます。
https://www.facebook.com/akihiro.nishino.16/videos/707920599342407/
「経験、知識=能力」ではないという事。
しかし「子ども」と不特定多数を挙げても仕方ありません。
なので著者であるBAOくんについて。
彼の感性、言葉は、彼を知ることから始めようかと。
BAOくんは転校先の学校で「いじめ」にあい不登校になったようです。
転校生には良くあることですね。
そして、この本の最後。
「バオ君の本が生まれた理由」ではこう書かれています。
僕は死にたいとかダメな子だとか思っていました。
引用元:「見てる、知ってる、考えてる」著・中島芭旺
ここ凄く大切なポイント。
なぜなら、いじめを経験した子どもが発信したからこそ意味がある、と。
恐らく本気で「死」について考えたことのある人なんて、世間では少数だと思います。
だからこそ、数々の深みある言葉が生まれたんじゃないかなぁ、とね。
そこに「自分らしさ」を一番持っている「子ども」と言う時期。
これが、この本最大の「売り」だと思います。
勿論、少数である異端が執筆しただけあって意見は賛否両論。
批判的な意見も多数上がっています。
不登校問題
よく目にするのが、やはり不登校問題について。
「不登校を肯定するな」「社会を舐めるな」などなど。
「不登校を肯定するな」という問題について。
僕は不登校を肯定するつもりはありません。
ただ、真面目に登校することを肯定もしません。
なぜなら、僕の生きていた時代と現代は違い過ぎんねんもん。
今までの「基本」や「常識」は大きく変化しつつある。
基礎だろうが応用だろうが、学びの場所は多数あります。
あとは本人の学ぶ姿勢次第。
BAOくんの将来を心配する声もあります。
他人を心配している人は自分の心配事を持ってないのかなぁ?なんて。
親や親族、知人の死を目にする度、寿命を全うするまで「将来」という現実は無くならないと僕は思ってますから。
他には「社会を舐めるな」的な厳しいお言葉系。
「ゲームでお勉強とか、ただの遊び」
「ただ逃げているだけ」などなど。
「遊び」を単に「遊び」として捉える以上の思考。
それを持てるという事を理解してもらいたいですね。
大人としてビジネスをするのであれば、どこに仕事が転がってるかわからないわけですから。
遊びの中に仕事はあるんだと、会社を辞めた今、それを痛感してます。
なんというか、子どもを見下す痛いコメントが多い。
これでは日本の未来を望めないのも良くわかる気がする。
あと、これは批判的な意見ではないのですが。
「ウチの子どもに読ませる」と言っている方。
個人的に、これは子どもに読ませるものではないかと。
まぁ子どもの境遇にもよりますけどね。
めっちゃ悩んでることがあったり、BAOくんみたいにイジメで苦しんでたりするなら良いかも。
でもそれより、親が読んで、本から得たものを教育に還元した方が効果的かなぁと。
我が子にオススメするのは良いと思います。
無理に読ませることはしたくないですね。
BAOママの存在
ここまで来て気になってくるのが親の存在。
最後にBAOくんの両親について伝えていこうと思います。
子どものアイデンティティは、多かれ少なかれ親の影響を色濃く受けるはず。
この本の中でも「ママ」と言うワードはたくさん出て来ます。
その「ママ」と言うのが岩切弥生(やよい)さん。
どうやら2回離婚されているそうです。
ただ、籍がないだけで元旦那とは問題なく連絡を取ってるそうです。
BAOくん自身も、よく父親(とーちゃん)と遊んでいるみたい。
今でこそ自由な生き方でBAOくんを育てている弥生さん。
しかし、昔の弥生さんは今と正反対だったそうで。
「母親は子どもの為に存在する」というような考えを持っていたそうです。
ある時「こんなにしてあげてるのに」と思ってしまう自分に疑問を抱き、あることに気付く。
「自分が持っていないものは与えられないんだ」と。
先ず自分が幸せになること。
今は、この考えを大切にされてるそう。
事実、BAOくんが綴った「ママ」についての一文を抜粋すると。
ママは僕を自由にするために、
自分の為にごはんをつくる。
僕はそれをわけてもらう。ママは自分の為に生きている。
だから僕も自分の為に生きている。引用元:「見てる、知ってる、考えてる」著・中島芭旺
当然、昔の弥生さんのような人は理解出来ないことかもしれませんね。
ただ、本人達は、僕の見る限り幸せそうに映っています。
そもそも、この自由自適な考え方は今に始まったことでもないし。
近年ではかなり増加しましたが、昔からある思考。
止まってしまった思考を再起する為にも、良い本だと思います。
「みんなちがって、みんないい」
金子みすゞさんの言葉。
柔軟な思考で、柔軟に生きること。
眉間にシワばかり寄せるより、目尻に笑いジワを残せた方が良いでしょう。
P.S.—–
BAOくんが大人の食い物にされている。
弥生さんが自分の子どもを売り物にしてる。
そういった意見を多数見かけます。
僕もそう思っています。笑
弥生さんもラジオ出演、トーク会、カウンセリングなど。
自分自身を売っています。
ただ、売れる物を売り物にして何か悪いのでしょうか?
「売れる」ということは、「求めている人がいる」ということ。
お金を支払う価値のあるものを作り、提供している。
逆に、マネタイズの仕方をBAOくん達から学べるはず。
彼らはそうして日々の食事を得られているわけですから、別に何ら変なことではないと思いますけどね。
それができれば、遊びは遊び以上のものになります。
今は本当に何でも売れる時代ですし。
この時代に、売れる部分が自分に無い方がヤバイでしょう。
自分を会社に売るため、学校で勉強してるわけで。
資格を取って雇われるのも同じで、自分を月給数十万円で買ってもらう為に自分を売り物に変えてるわけだし。
▼電子書籍版
仮に今、大人の食い物にされてるBAOくんがいたとして、BAOくんが自分で生きられるようになった時にどう生きるのか、これまでをどう活かすのかを彼自身が判断すればいいだけの話。
たくさん売れる部分を持った人間になる。
たくさん誰かが求める人間になる。
その為に学ぶ。
その為に遊ぶ。
自分の幸せの為にね。
何かの参考になれば幸いです。
ではでは。